発達グレー・不登校のその先へ——変わりはじめた〈学びのかたち〉

学校に通えなくなった子が、やがて自分のペースで動き出す——その姿から、私たちは教育の本質を見直すことができるのかもしれません。発達グレー・不登校の育児から見えてきた“学び”の形を綴るブログです。

息子のいない部屋と、ふわっと抜けた心——一時保護後の日々と私の気づき

※この記事は、実際の子育て体験から「発達グレー×不登校対応のリアル」を描くシリーズです。制度への問題意識と、親としての現実の葛藤、その両方を綴っています。


■ 息子のいない部屋と、ぬいぐるみたち——心がふわっと抜けてしまった日々

息子が一時保護に入ったあと、私はほっとしたような、抜け殻になったような気持ちでした。

「やりすぎたんじゃないか…」「息子の心は大丈夫だろうか」「ご飯、ちゃんと食べてるかな」

考えても仕方ないと分かっていても、不安や罪悪感が頭から離れませんでした。

最初の3日間は週末で、児童相談所の担当の方と連絡が取れず、様子も分からないまま。 何をするにも手につかず、心が浮上しないまま時間が流れていきました。

家では、息子の部屋を少しずつ片付けて、シーツや布団を洗濯して、整えることしかできませんでした。 彼の大事にしていたぬいぐるみたちがベッドの上に残っていて、その子たちと一緒に座る時間が多かったです。

誰にも言えない心のモヤモヤが、あのぬいぐるみたちには話せた気がします。

娘が帰宅すると普通にご飯を食べて、笑い合うこともできるのですが、私ひとりの時間になると、 やっぱり思い出してしまうんです。 「あの子、どうしてるかな……」って。

 

■ 担当者の報告——少し安心した「息子の声」

数日後、児童相談所の担当の方から連絡がありました。

「最初は緊張していましたが、案外すぐに生活に慣れてきましたよ。 ルールは細かいけれど、“学校よりも楽”だと話していました。 “勉強時間が少ないのはちょっと心配”っていうのが本人の感想です」

この言葉に、私は思わず涙が出ました。

“心配”と思えるだけの冷静さがある—— それだけで、今の彼はちゃんと“自分を見つめる時間”を過ごせていると感じられたのです。

あのまま家にいたら、お互い感情がぶつかるだけだったかもしれない。

「これでよかったんだ」 そう思えるまでに、ほんの少し時間が必要だったのだと思います。

 

児童相談所の現場で感じた“学校との違い”

一時保護中の生活について、児童相談所の方が教えてくれました。

中のルールは細かいけれど、それにはすべて明確な理由がある。 そして、どの職員もそのルールに対する姿勢が一貫している——これは学校とは大きく違う点でした。

学校は、暗黙の了解のようなルールや、先生によって対応が違うこともある。 多様性が叫ばれる今の社会において、そこだけが旧態依然としたまま取り残されているように感じました。

 

■ 1か月半の時間——その中で起きた、ささやかな変化

息子は1か月半ほど一時保護先で過ごしました。 その間、私との面会は1度だけ。 私から手紙を3回送りましたが、返事はありませんでした。

でも、担当者の話から、息子はちゃんと受け止めてくれていたことがわかりました。

そして1か月ぶりに会った息子は、どこか少し、大人びて見えました。

 

■ 児童精神科の医師が言った言葉

この一連の流れを、通っていた児童精神科の先生に話したところ、 「こういうケースはあまり多くないけれど、児童相談所がここまで動いてくれるのはとても良いこと。救われる子は確実に増える」 とおっしゃっていました。

実際、今回のことで私は「児童相談所=家庭に問題がある子どもが行くところ」ではないことを実感しました。 支援を必要としている子どもが、一定期間、安心して過ごせる場所でもあるのだと。

 

■ まとめ:揺れながらも、私たちは“変化”の途中にいた

一時保護を決断したとき、私は「子どもを手放してしまった」ような喪失感に襲われていました。 でも、それは“見捨てた”のではなく、“信じて待つ”時間だったのだと思います。

そして今、思うのです。

——私たちは親子としても、人としても、変化の途中にいたのだと。

揺れながら、迷いながらでも、こうして立ち止まりながら前に進むこともある。

それが、私たち家族にとって必要な「ひと区切り」だったのかもしれません。