google-site-verification=CNN8_dLwiO8-uQLz4RvUIIxAJ7xh-DfAsecVmd90q5U

発達グレー・不登校のその先へ——変わりはじめた〈学びのかたち〉

学校に通えなくなった子が、やがて自分のペースで動き出す——その姿から、私たちは教育の本質を見直すことができるのかもしれません。発達グレー・不登校の育児から見えてきた“学び”の形を綴るブログです。

高校教育にも感じる、義務教育の延長としての違和感

私の子どもたちは、一人は進学校である都立高校に、もう一人は私立大学付属の通信制高校に通っています。
異なる制度の中にいる二人を見ていると、小中学校の義務教育に対して抱いてきた違和感が、高校に進んでもなお、形を変えて続いていることを強く感じます。

 

公立高校では、大学受験を目標にしている生徒であっても、家庭科や美術、保健体育といった教科を履修し、定期テストを受け、成績がつきます。幅広く学ぶこと自体を否定するつもりはまったくありません。ただ、大学受験という明確な目的がある場合、それらに割かれる時間が決して小さくないのも事実です。

現実には、浪人を選んだ途端に、そうした「受験に直接関係しない科目」から解放され、受験科目に集中できる環境が手に入ります。
つまり、一度レールから外れた方が、かえって合理的に学べてしまう。この逆転現象は、個人の努力や根性の問題というより、制度設計そのものの歪みではないかと感じてしまいます。

 

さらに、子どもの通う都立高校では今年度から校長先生が変わり、学校の雰囲気も大きく変化しました。中学校のような管理体制が敷かれ、生徒の自主性よりも統制が優先される場面が増えたように思います。

高校生は、進路も成熟度も多様で、本来は自分で考え、選択し、失敗することを通して大人になっていく時期のはずです。しかしその大切な時期に、再び「管理される側」に戻されているような感覚があります。
大人が管理すれば、厳しくはあっても、従っている限り大きな失敗はないのかもしれません。けれどその代わりに、自分で考えることや、選択することの機会は確実に失われていきます。

 

一方で、私立の通信制高校では、通常の科目授業に加えて、特別スクーリングが用意されています。体験を通して学ぶ授業、正解のない問いに向き合う時間、人と関わりながら考える場。親として、とてもありがたいと感じています。

ただ同時に、強く思うのです。
こうした学びこそ、本来は小中学校で行われるべきだったのではないか。

 

小中学校では管理が強く、体験や主体性が乏しい。
高校では目的が曖昧なまま、進路に合わせた最適化が難しい。
そして通信制高校が、その「取りこぼし」を後から補っている。

年齢に合った学びが、年齢に合わない場所で提供されている。
このねじれこそが、私が感じ続けている違和感の正体なのだと思います。

 

さらに言えば、現在の通信制高校は、学校運営の中で大きな利益を生むビジネスになりつつあります。ビジネスチャンスがあれば、教育理念よりも利益が優先される運営が生まれる可能性も否定できません。

問題のある通信制高校が生まれてしまうのは、そこにビジネスチャンスがあるからであり、同時に、義務教育が歪んだまま放置されてきた結果でもある。


私は、そう感じています。