発達グレー・不登校のその先へ——変わりはじめた〈学びのかたち〉

学校に通えなくなった子が、やがて自分のペースで動き出す——その姿から、私たちは教育の本質を見直すことができるのかもしれません。発達グレー・不登校の育児から見えてきた“学び”の形を綴るブログです。

不登校支援の現実と限界〜発達障害・発達グレーの子どもを持つ親の体験から考える

※この記事は、実際の子育て体験から「発達グレー×不登校対応のリアル」を描くシリーズです。
制度への問題意識と、親としての現実の葛藤、その両方を綴っています。


■ 支援の手は、確かにあった

息子が学校に行けなくなったとき、学校に相談し、スクールカウンセラーソーシャルワーカーと面談もしました。児童相談所ともつながり、児童精神科の医師にも頼りました。

どの方も、丁寧でした。話を聞いてくれたし、書類も用意してくれたし、それぞれの専門の範囲で「できること」は提案してくれました。

でも——
私が本当に知りたかった問いには、誰ひとり答えてくれなかったのです。

「彼の心は、どうしたら救えるのか?」
「彼は、どうしたら“また前を向ける”ようになるのか?」


■ バラバラの支援、それぞれの限界

不登校に対する支援は、教育・福祉・医療など複数の機関の連携で成り立っています。

けれど、実際に関わってみると、「つながっているようで、つながっていない」ことが多かった。

  • 学校は「どうにか登校できるように」と働きかける

  • カウンセラーは「気持ちを整理するために」と週1回の面談を勧める

  • 児童相談所は「安全確保」の観点から一時保護を提案する

  • 不登校の居場所支援もあるけれど、「いじめ被害者を想定した支援」が中心で、本人の特性にマッチしていないこともある

どの支援も「機能していない」とは言いません。
でも、多くは「現行の義務教育に適応させる」ことを前提としていて、本人が感じている生きづらさや違和感の根本には、誰も踏み込んでくれなかったのです。

そして何より、その支援同士をつなげて整理し、取捨選択していく作業を、すべて親が担わなければならなかった
学校・相談機関・医療、それぞれの情報やアドバイスを、現場の親が一つずつ咀嚼し、必要なタイミングで動かなければ、子どもに届かない支援も多かった。


■ WISCの結果が教えてくれたこと

息子は、WISC(知能検査)を受けました。
WISC(知能検査)の結果では、言語理解・知覚推理・ワーキングメモリが高く、処理速度だけが平均的でした。
数字だけ見れば「全体的に高い」と受け取られるかもしれませんが、処理速度との非対称性が大きな負荷になっていたのだと、今なら思います。

「理解はできる。でも、気持ちが動かない」
「やらなきゃいけないのは分かる。でも、体がついてこない」

WISCの数値には出ない、「納得できない感覚」や「圧倒されるような感情の動き」——それこそが、彼の不登校の背景にあったのだと今では思います。


■ 「家庭でのまなざし」だけでは足りなかったかもしれない

家庭では、彼に対してずっと「あなたはあなたのままでいい」と伝えてきたつもりでした。
得意・不得意があって当然。みんなと同じでなくても大丈夫。そういうまなざしで育ててきました。

でも、学校という場はそうではなかった。

決められた時間に登校し、指示に従い、集団行動に合わせる
本人がどんな感覚をもっているかより、「一律に同じことができるか」が基準とされる。

だから息子は、学校に行くたびに「ここは自分の居場所じゃない」と感じてしまったのかもしれません。

もし、社会全体が“個のちがい”を前提とする環境だったら、彼はもっと安心して学校にもいられたのではないか。

そう思うと、家庭だけでどれだけ理解していても、「外の世界」に同じまなざしがなければ、子どもは結局、孤立してしまうのかもしれない——そんなふうにも思います。


■ 支援ではなく、「問い直し」が必要だったのではないか

支援そのものはありがたかったし、必要でした。
でも、そこで示される「ゴール」は常に同じ——「学校に戻すこと」「制度に適応させること」

その前提が変わらない限り、支援は“制度の枠を補強するもの”でしかなく、
本人の苦しみの核心に近づくことは難しいのだと思います。

不登校を「本人の課題」としてとらえる限り、たどり着けない視点がある。

本当に必要だったのは、
「なぜこの子が行けないのか?」ではなく、
「なぜ学校がこの子を受け入れられなかったのか?」という問い
だったのではないでしょうか。


不登校は「個人の問題」ではない。構造の問題だ。

息子は、何も拒んでなどいなかった。
むしろ、あの環境のなかで**「自分であり続けよう」として必死に耐えていた**。

でも、その頑張りは評価されず、「わがまま」「甘え」として片づけられた。

学校が前提としているのは、
「規律に従う子」「指示通りに動ける子」「空気を読める子」

そこから少しでも外れると、「指導対象」「支援対象」になる。
そんな構造の中では、彼のような子が苦しむのは必然だったのです。


■ 結びに:支援が“本当に機能する”ために

支援という言葉が、もっとやさしくあってほしい。
支援とは、制度の中に押し込むことではなく、その外にも「選択肢がある」と示すこと。

  • 子どもの個性に寄り添い、

  • 一律の枠からはみ出すことを責めず、

  • 多様な学び・育ちのルートを「正解の一つ」として認めること

そうした構造そのものを見直さない限り、
救われない子どもも、苦しむ親も、なくならないままです。

支援はあった。けれど、「答え」はまだ、制度の外にある。