発達グレー・不登校のその先へ——変わりはじめた〈学びのかたち〉

学校に通えなくなった子が、やがて自分のペースで動き出す——その姿から、私たちは教育の本質を見直すことができるのかもしれません。発達グレー・不登校の育児から見えてきた“学び”の形を綴るブログです。

「鼻の形、そんなに大事ですか?」 〜“自画像”で叱られた娘の話から考える、創造と評価の伝え方〜

どうして、またダメって言われるの?」

「鼻の形がちがうよ」。
先生にそう言われた娘は、描く手を止めてしまいました。
それは“自分”を描いたはずの授業で、自分を否定されたような体験だったと思います。
学校の“評価”が、子どもの自己表現と自尊心をどう揺るがすのかを考えます。

 

◆また“ダメ”と言われた日

「どうして、またダメって言われるの?」

小学5年生の娘が、図工の時間のことを話しながらため息をつきました。
自分の顔を描く「自画像」の授業で、イラスト風に描いた作品に対して「鼻の形が違う」と先生から指摘を受けたというのです。

実は、この先生は以前から、娘だけでなく多くの子の作品に対して──

「こんな色、変だよ」
「なんでそんな形にしたの?」
「ちゃんと見て描きなさい」

といった“否定から入る”指導をする傾向がありました。


◆図工って、“正解”がある教科でしたっけ?

図工は、決まった答えのない教科です。
それだけに、子どもたちの内側から出てきた「表現したい」という気持ちを、どう受け止め、どう伸ばすかが問われる場でもあります。

もちろん、先生として「観察力」や「写実の訓練」を大切にしたい気持ちは理解できます。

でも、それを伝えるときに──
「違う」「ダメ」「変だ」ではなく、「こういう見方もあるよ」「こう描く方法もあるね」と導く言葉を選んでほしかった。

娘の描いたイラスト風の自画像は、彼女なりに時間をかけ、楽しんで描いたもの。
「鼻の形が違う」と切り捨てられたことで、その思いがポロリとこぼれてしまったようでした。


◆否定ではなく、受け入れて導く教育へ

教育の場で、指導は必要です。
でも、その前に「その子の表現をまず受け入れること」
それが、創造を育てるスタート地点だと私は思います。

「こういう描き方もあるんだね」
「この色づかい、面白いね」
──その一言が、子どもの心を開くカギになるのです。

もし先生が「なるほど、イラスト風に描いたんだね。でも、自分の顔をもっとじっくり見てみたら、どんな発見があると思う?」と声をかけてくれていたら──。

娘はきっと、「じゃあ、写実にもチャレンジしてみようかな」と前向きになれたかもしれません。


◆家庭が「表現を守る場所」になるとき

娘が描いた作品を、私たちは家庭で大切に飾りました。
「いいね」「楽しんで描いたのが伝わるよ」と声をかけると、娘の表情は少し和らぎ、また次の作品に向かう意欲を取り戻していきました。

学校が「正しく導く場」だとすれば、家庭は「ありのままを受け止める場」でもあるべきなのかもしれません。

そしてその両方が、バランスよく関わることで、子どもたちは安心して「自分」を表現できるようになるのだと実感しています。


◆おわりに──「評価の前に、受け入れる目」を

「子どもが描いた絵に、まず“いいね”と言ってあげてください」
これは、ある図工の指導書に書かれていた言葉です。

どんなに未熟でも、奇抜でも、「その子が、こう描きたいと思った」ことが出発点。
否定するのではなく、その思いを尊重しながら、少しずつ表現の幅を広げていく──。

図工の先生に限らず、私たち大人みんなが、
「正しさ」よりも「表現の芽」を見つける目を持てたら、教育はもっと豊かになるのではないでしょうか。