音楽の授業は、本来“楽しむ”ものであるはず。
しかし学校では、音程、拍子、課題曲…と“正解”ばかりが重視されてはいないでしょうか。
「音楽が嫌い」と感じる子どもが増える背景を考えながら、音の学びを再定義します。
■“うまく歌えないから” 音楽が嫌いになる子どもたち
子どもが音楽に出会うとき、それは“音”を学ぶというよりも、“音で感じる”体験なのではないかと思います。
メロディに合わせて体が自然に動き出す。リズムを口ずさみながら、心がふわっと軽くなる。
音楽は、言葉よりも先に、子どもの心にまっすぐ届く表現のひとつです。
基本的に、音楽が好きな子どもたちは多いものです。
しかし、学校の音楽の授業では、「正しく歌うこと」「正確に演奏すること」に重きが置かれがちです。
歌のテストやリコーダーのテストを、みんなの前でやらされる場面も少なくありません。
楽譜を読み、決められたフレーズを間違えずに奏でることで評価がなされる授業では、「音を感じる喜び」よりも、「間違えないこと」への意識が強くなってしまいます。
その結果として、音楽が好きだったはずの子どもたちが、音楽の授業を嫌いになってしまうこともあるのです。
■「音を楽しむ」体験が心に残る
私自身、中学生の頃は、まさに「テストのある音楽」の印象が強く、楽しいと感じる機会はあまり多くありませんでした。
しかし、心に残るひとつの体験があります。
それは、卒業を控えた3年生の3学期、教育課程を終えたあとの音楽の授業でのことでした。
先生が海外の有名なミュージカルのビデオを見せてくださり、最後にはその中の一曲をみんなで歌ったのです。
点数も評価もなく、ただ音楽を味わい、声を合わせる時間。
それが、3年間の中でいちばん楽しかった音楽の授業でした。
「音楽って、こういう時間のことだったんだ」
そう心から感じることができた、忘れられないひとときでした。
■感じ方に“正解”はない
音楽は、本来もっと自由で、もっと個人的なものです。
同じ曲を聴いても、ある子は「楽しい」と感じ、別の子は「さみしい」と感じるかもしれません。
そのどちらもが“正解”であり、その感覚を大切にしてほしいと感じます。
民間の音楽教室やリトミック、即興演奏などの場では、「どう感じたか」「どう鳴らしたいか」という、子どもの内側からの声が尊重されます。
そこには、評価や順位ではなく、自分自身と音との関係を深める時間が流れています。
■おわりに 〜音楽が“心の居場所”になるために〜
音を聴き、音を出し、音と向き合うこと。
それは感性を育て、心の内側を豊かにする営みです。
義務教育の中でも、“正しい演奏”と同じくらい、“音を楽しむ心”を育てる視点が、もっと広がっていくことを願っています。