※この記事は、実際の子育て体験から「発達グレー×不登校対応のリアル」を描くシリーズです。制度への問題意識と、親としての現実の葛藤、その両方を綴っています。
「逃げてるだけだよね」
そう言ったのは、ゲームに没頭していた不登校中の息子自身でした。
その言葉に、私は救われた気がしました。
ただ逃げているのではなく、彼なりに整理しようとしていた心の中。
その姿に、“感じることを認められる環境”の大切さをあらためて思い知りました。
■親子の会話ができなくなった日
小学生の頃までは、気持ちをうまく言葉にできない息子のために、私はよく“翻訳”のようなことをしていました。
「こんな気持ちに近い?」「こういう考えとはちょっと違う?」と、丁寧に言葉を探しながら、感情を一緒に整理する毎日。
けれど思春期に差しかかり、いつの間にかその“やりとり”は成立しなくなりました。
息子は言葉にされること自体を嫌がるようになり、私が問いかけても、「わからない」「うるさい」のひと言。
親子の会話は、静かに、けれど確実に消えていきました。
■逃げ場所はオンラインゲームと動画だった
学校にも行ったり行かなかったりが続いていたころ、息子の心がどこにあるのか、私はよくわからなくなっていました。
その代わり、彼が毎日心を置いていたのは、「オンラインゲーム」と「動画」の世界。
特にストレスの大きかった日などは、登校から帰宅後、ほぼ無言でゲームに没頭。
そこからは深夜、いや、朝方まで、延々とゲームや動画の世界に没入するのが常でした。
そして、当然のように朝は起きられず、学校へ行けない。
そのまま2〜3日昼夜が逆転すると、本人も「さすがにヤバい」と思うようで、
今度は丸1日、24時間起きて無理やりリズムを戻す——そんな“めちゃくちゃな生活”が繰り返されていきました。
■「家庭でルールを決めましょう」の限界
国の方針として、ゲーム依存やスマホ使用の問題については「家庭でルールを決め、守らせましょう」と言われます。
ですが、思春期真っ只中の中学生男子、
しかも中学校の校則や教科ごとのルールにすっかり嫌気がさしている息子にとって、
「家庭内ルール」などは完全にナンセンスでした。
もちろん、私も何もしなかったわけではありません。
端末の取り上げ、時間制限、フィルターの設定など、あらゆる方法を試し、さらに罰則的ではなく、ご褒美としてのゲームにしてみたり、前頭前野の発達が未熟だから、と図解して論理的に説明してみたりと、もう本当にあの手この手。
けれど現実には、学校からICT教育用として一人一台タブレットが配布されており、
家庭で制限をかけたところで、学校端末があればすぐ回避できてしまう。当時息子は、自分で新規アカウントを作ったり、他の端末でも自分のアカウントでログインしてみたり、自由に使える時間に動画を画面録画したりと、こちら以上に知恵を絞って端末を使います。
また、親のスマホやPCをこっそり使ったり、友人の端末を借りてしまったりと、
“取り上げ”がかえって他人に迷惑をかけるリスクになることさえありました。
つまり、「家庭だけで何とかする」にも限界があったのです。
■「依存かも」と悩んだ日々
私は何度も考えました。
これは「依存」なのだろうか?それとも一時的な“避難”なのだろうか?
ゲーム依存の専門外来やカウンセリングを調べ、電話もしてみました。
でも、専門家が言ったのは、「本人に治す気がなければ、外側からの治療は難しい」ということ。
結局、私が何かをしても、本人が納得していなければ変わらない。
けれど、このままでいいとも思えない——。
■「ゲームって逃げだよね」と言えたその日
そんなある日のこと。
深夜、ふと目を覚まして電気のついている息子の部屋をのぞくと、息子はゲームを終えたばかりのようで、ちゃんと私と向き合いました。
そして、ぽつりとつぶやいたのです。
「ゲームってさ、逃げなんだよね。やっても、すっきりするわけじゃないんだ」
私は言葉を失いました。
まさか、そんなふうに“自分で自分を見つめている”とは思っていなかったからです。
そして、それを「親に言える」ということに、涙が出るほどホッとしたのです。
■まとめ:「家庭任せ」ではなく、社会全体で受け止めて
ゲーム依存、スマホ依存——。
それは「家庭のしつけの問題」ではなく、「子どもが現実に適応できない理由」に耳を傾けるべきサインです。
ICT教育が進み、どの子も端末を持つ時代。
なのに「家庭でルールを決めて守れ」と言われても、現実には無理がある場面も多いのです。
ゲームや動画に逃げるしかなかった息子。
でも、彼は自分で気づいていました。「これは逃げだ」と。
だからこそ、私たち大人は“家庭内の問題”として矮小化するのではなく、
もっと社会全体で、子どもの心に寄り添う視点を持つ必要があるのではないでしょうか。