先日ふと思って、「不登校 困りごと」で検索してみたんです。
そして、問題は主な原因
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いじめ、友人トラブル、先生との関係
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家庭環境(親との関係、家庭内ストレス)
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学習についていけない、進路への不安
- 生活習慣の乱れ、非行、理由を説明できない
……いや、全部 “子ども側””家庭側” やん。
検索結果、まさかの満場一致で
「子どもと家庭に問題あり」感が強すぎてビビりました。
ふと疑問が浮かびます。
——え、学校側は無罪?
まさかの“ノーダメージ”???
■ 不登校の説明、学校の存在が透明化してない?
多くの記事が、不登校の原因として
本人の特性と人間関係(家庭や友人)を挙げてるわけですが……
いや、学校という環境は?
学校文化は?
管理・評価のシステムは??
ここだけ、なぜか完全スルーされていて、その結果の適応障害は等は心身の不調や、理由が説明できないにまとめられてしまっています。
検索すると、学校はまるで「善意の場所」でそこにいけない子どもの弱さみたいになっていて笑ってしまう。
■ なんで学校の問題は語られないの?
理由をざっくり考えると……
● 行政:「学校が問題」と書くと仕事増える
→ そりゃ書かない。
● 教育界:自分たちの文化を疑うと大変
→ 見なかったことにする。
● 支援機関:「子どもを学校に戻す」が前提
→ “学校が合わない”という真実は不都合。
これ全部、暗黙の了解でスルーされてる。
■ 実際には“学校の構造”がしんどい子も多い
中学生あたりは特に、
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子ども扱いされる
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ルールだらけ
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自分で決める余地なし
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評価と管理が中心
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息苦しい教室文化
これがハマらない子は一定数います。
でもそこは“語られない”。
その結果、
不登校=子どもが弱い、家庭に問題がある
という雑すぎる結論が主流になってしまう。
■ 子どもを守るには、学校の構造も見ないとダメ
不登校って、
子ども・家庭・医療だけで説明できるほど単純じゃない。
学校という“環境そのもの”が
合う子もいれば、合わない子もいる。
これは自然なこと。
なのに検索すると、学校だけ“透明化”してるのが、なんとも不思議で。
むしろ私は、
学校の問題をちゃんと語ることが、子どもを守る一番の近道
なんじゃないかと思っています。