※この記事は、発達グレーの息子と学校とのすれ違いを通して、「不登校のリアル」と「制度への違和感」を、親の視点から綴るエピソード編です。
学校に行かなくても、ゲームをして、ごはんを食べて、笑うこともある。
だから一見、「大丈夫そう」に見える。
でも実際には、昼夜逆転、無気力、不安定な感情…複雑で脆いバランスの上にいる毎日でした。
そのなかで私が気づいたのは、「生きる力」は数字では測れず、もっと感性に根ざすものだということでした。
■「社会に出られない子」ではなかった——けれど“普通”ではない日々
息子が完全に不登校になってからの半年間。
私たちの生活は、表面的には穏やかにも見えました。
日中に起きられた日は、私の会社で手伝いをしてくれたり、塾や習い事に行ったり。
電車に乗って買い物をしたり、道を尋ねられても落ち着いて対応できたりと、
いわゆる“思春期男子”にありがちな不愛想さよりも、むしろ人当たりのいい子でした。
でも、それは「調子がいい日」だけの話。
実際には、週の半分は昼夜逆転。
夜中にゲームや動画を見て朝方に寝て、昼過ぎに起きる。
逆転しすぎて「さすがにまずい」と本人が感じた日は、
24時間眠らずに生活をリセットしようとしたこともありました。
「普通に生活している」とは言い切れない、
でも「完全にこもっている」わけでもない——
そんなグレーな日常が、半年続いていたのです。
■学校・行政・民間——支援を求めて走り回った半年
私はこの半年間、できる限りの支援先をまわりました。
「学校に戻るか?」「学びをどう継続するか?」を軸に、必死でした。
◆ 学校に相談してみた
復帰できるとしたら、どんな支援が受けられるのか?
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久しぶりに登校したら授業についていけないのでは?
→「学校って連続しているので、そういう面はありますよね。不明な点はお友達や先生に聞いてもらえたら」 -
勉強の遅れはどうするのか?
→「学校生活の中では何もできないので、塾とか家庭での自主学習くらいしか」 -
補講や個別フォローは?
→「個別に聞きに来てもらえれば教えられますけど、教科の先生も担任や部活もあるので時間は限られます」
「登校できるかどうか」だけが焦点で、その後どう学びを取り戻すかへの視点はなく、正直、この状態では登校を再開できても、再度の不登校になりうるし、二度目の不登校からの復帰は、相当厳しいだろうと予想がつきました。
◆ ソーシャルワーカーに相談してみた
「不登校の子どものための場がある」と聞き、区のフリースクール的な教室を紹介されました。
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勉強はできるのか?
→「基本は自習。学びより“安心できる場所”を提供することが目的」
息子のように「勉強を継続したい」子にとっては、やや方向が違っているように感じました。
◆ 塾・民間フリースクールを検討
学びの遅れを取り戻すには塾……と思って見積もると、
5教科対応で月20万円以上。
民間のフリースクールも高額で、我が家にとっては現実的でない金額でした。
◆ 区に助成はあるか?
「塾やフリースクールに通った場合、何か助成制度はありますか?」と問い合わせると、
→「ありません」
→「就学援助の対象世帯以外は、すべて自己負担です」との返答。
■学校に行かないと、学びの権利すら曖昧になる現実
改めて感じたのは、
日本の教育制度は“学校に通っている子ども”だけを前提にしているという事実でした。
学校に行けば、授業があり、評価があり、支援がある。
でも、学校に行けなくなると、そのどれもが**「自己責任」**として処理される。
学び続けたいと思っても、親の経済力や情報力によって選択肢が変わってしまう。
これは、個人の努力ではどうにもならない**「制度の隙間」**でした。
もちろん、道がないわけではない。中学不登校でも十分取り戻すことはできる。でも、選択の幅は狭まってしまう。
■まとめ:不登校の子どもにも、“未来を描く力”が必要
息子は、学校に行けなくなっただけで、社会性を失っていたわけではありません。
外に出て、人と話し、笑うこともあった。
ただ、学校という「型」に合わなかっただけ。
けれど、その「合わなさ」が、学びの権利や将来の可能性までも奪ってしまうのだとしたら——
それは、子どもの問題ではなく、「制度の問題」です。
不登校の子どもたちが、“今できること”を積み重ね、
“未来を描ける選択肢”がもてるように——
制度の再設計が必要だと、心から思います。